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INTRODUCTION


1987年4月

 「光画部」創設者の一人である長谷川は、臨時職員として武生市勤労青少年ホームに赴任した。社会人2年目の彼はこの年の3月、以前勤めていた会社を突然辞め、今後の身の振り方を考えていたところ、知人の紹介で1年間の臨時職員としてホームで働くこととなった。ホームでは、主催行事や自主的なクラブ活動の場を提供する他、実は大変な使命が待ちかまえているとは知らずに…。
 大変な使命とは、公共団体が運営するこうした施設では、概ね年間行事として様々な利用者の交流を促す行事が決定されている。春は「緑陰のつどい」、夏は「サマーキャンプ」、秋は「文化祭」、冬は「スキー教室」、さらにそれらの行事の合間には、各講座やサークル活動の代表者を集めての施設運営協議会等々…、こうした行事を成功させるのも、ホーム職員の大きな仕事だったのである。



1987年8月

 夏のビッグイベントである「サマーキャンプ」。考えてみれば、いくら施設運営協議会なんかで協議したところで、施設は利用しているものの、施設が主催する行事を目当てに通う利用者は少ない。当然、参加希望の利用者は集まらず、長谷川はサークルや講座の間を奔走し、参加の゛お願い″をして回るはめとなる。長谷川は考えた。少しでも参加者を増やす為にはどうしようかと…。そこで、以前勤務していた会社の元同僚に声を掛け始めたのである。その中に、後に一緒に「光画部」を創設することとなる島崎がいた。
 「参加者には女性が多いよ」、島崎を騙すのは簡単だった。群馬から単身福井へやって来た島崎にとって、会社以外の人達との出会いは魅力で、他の同僚と゛のこのこ″と「サマーキャンプ」に参加、…そして期待通り長谷川の罠にかかってしまったのである。



1987年10月

 秋に開催されたホームの文化祭「ヤングフェスティバル」では、「サマーキャンプ」で顔を合せたメンバーが協力しあった。
 福井県武生市出身の漫画家「池上遼一」氏をゲストに招いての「公演会&サイン会」が開催され、「皆で何かを創りあげる喜び」を知るきっかけとなった。
(池上氏からいただいたサイン色紙は「こちら」でご覧いただけます。)
 このイベントの企画運営は、ホーム指導員の長谷川とボランティアサークルの伊藤が中心となって進められていたが、いつの間にか多くのメンバーが自然と運営に巻き込まれてゆき、それ以来、いままでは単に講座やサークル目的にホームへ通っていたメンバーが、ホームのロビーをもうひとつの活動の場として活用するようになった。



1987年12月

 「ヤングフェスティバル」に参加してからというもの、仕事が終ると島崎はホームを訪れ、長谷川から紹介される講座やサークルのメンバーと交流を深めていった。なんの講座・サークルも利用していない島崎は、いつしか長谷川と共に、施設利用者間の交流促進の為に、ホームの様々な企画に口を出すまでになってしまった。
 長谷川に騙されたのは島崎だけではなかった。ボランティアサークルの伊藤、白崎、ペン習字講座の山岸、渡辺、大久保、谷口、バトミントンサークルの土田、小木、ジャズダンス講座の芹川、堤、料理講座の勝本、奥山、前田、赤川、西郷、嶋川、着付け講座の清明、馬田、松山、上阪、田中、平井、佐藤(双子の姉妹)。こうしたメンバーによって、ホーム利用者初のイベント「こたつでクリスマス・あったまろ〜よ」が企画された。この時の運営メンバーの多くが、後の「光画部」部員となる。



1988年3月

 年度が幕を降ろそうとしていた。ホームの利用は年度単位。毎日集まっていたホーム利用者達も、講座やサークルがなくなれば足を向ける意味がなくなってしまう。自然とホームの閉館時間も早まり、指導員の長谷川と無所属の島崎は、持て余す時間を長谷川の部屋で過ごすようになる。
 この二人、突っ走る島崎と、慎重な長谷川というコンビには、不思議な共通点があった。それは、二人とも同じ漫画週刊誌を愛読していたということだ。少年サンデーの「究極超人あ〜る」がそれである。漫画家ゆうきまさみ氏の作品で、春風高校の写真部「光画部」に謎の博士・成原成行が創り出したロボット「あ〜る」が入部し、部員と共に様々な事件?を引き起こしてゆくというストーリーだ。「これだっ!」と二人は思った。「来年度もみんなが集まれる大義名分があるじゃないかっ!写真部をつくろうっ!」…これが「光画部」の始まりである。
(ところで長谷川は、この1年で身の振り方は決まったのか…!?)


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