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昔、若狭国に高橋権太夫という長者いた。長者は、小浜の金持ち連と おりおり講(寄り合い)を催していたが、その一人で海辺に住む男が、ある時、講仲間を自邸に招待すると申し出た。一行が迎えの舟に乗り込むと、上から覆いのようなものをかぶせられ、舟は水中へ潜航する気配。着いた先は異国風の御殿であった。邸内を見物するうち、一行は炊事場で、料理人が少女をまな板に載せ、調理する光景を目撃する。膳には、それらしき炙りもの(あぶりもの)も出されていたが、怪しんで誰も食べなかった。「これこそ今日第一のご馳走でしたのに…」と残念がり皆にお土産として持たせた。行きと同様、不思議な舟で帰ったが、他の者は気味悪がり土産の包みを捨てたが、高橋長者だけ家まで持って帰り戸棚にしまっておいた。包みを見つけ出した長者の娘は、その炙り物をひとりで食べてしまった。以来、娘は数百年を経ても年老いることなく、やがて剃髪し比丘尼となった。娘は一千年の寿命を得ることとなり、諸国を遍歴したが、八百歳のとき、残り二百歳分の寿命を若狭の領主に譲り、小浜の空印寺の奥の洞窟で入定した。八百歳で入定したので、八百比丘尼と呼んだ。海辺の男は、竜宮の人であり、奇怪な炙り物は、不老不死の霊薬とみなされていた人魚の肉だったという。 これが、「八百比丘尼」伝説の概略です。八百比丘尼が入定したと伝えられる小浜市の空印寺の縁起では、八百比丘尼の父は「秦道満(はたのどうまん)」という名であり、小浜市の内陸部には道満屋敷跡と伝わる史跡が残されているそうです。秦道満といえば、TUCHIMIKADO編で登場した、陰陽師 安倍晴明のライバル芦屋道満のことだといわれています。芦屋道満と八百比丘尼伝説と関係がありそうです。 芦屋道満は、播磨(岡山県)陰陽師であり、岡山県の金光町には、「千年比丘尼」の伝説が残っているそうです。伝説はこうです。道満ゆかりの遺跡が点在する占見(うらみ)の地の「津隈の森」に不老長寿の比丘尼が庵が結んでいた。そして、比丘尼は諸国巡歴の帰らぬ旅に出た。数百年が経ち、土地の者が旅先の若狭小浜で年老いた仙尼と出会う。尼は昔、占見に住んでいたと懐かしく語り、ほどなく小浜で亡くなったという。いずれも終焉の地が小浜という一致があるのです。さらに播磨陰陽師集団の一大拠点であったとされる姫路に広峰神社がありますが、小浜市千種にも、播磨広峰神社から勧請された広峰神社が存在しています。 若狭には、若狭彦神社があります。 往古この地男女一対の神が竜宮から来臨しました。いつまでも若く美しい姿だったので、人々は「貴方たちの年の若さよ」とほめたたえたのです。これが若狭の国名の由来であり、夫婦神をまつったのが若狭彦神社です。ここにも竜宮伝説です。さらには、近く丹後半島には、浦島伝説があります。竜宮伝説と不老不死。これは、実に陰陽道に深く関係があります。不老不死は、陰陽道にとって秘術中の秘術なのです。[TUCHIMIKADO(2)参照] 安倍晴明もまた、竜宮へ招かれ、秘宝を納めた箱と丸薬を授かり、これが後に、清明に霊力を授け、安倍氏陰陽道興隆の契機となったという伝説もあるのです。 比丘尼の父 道満の姓は「秦」となっています。秦氏は、徐福伝説とも繋がっています。徐福伝説とは何でしょうか。秦の始皇帝の時代、始皇帝は、中国の東方にあるという伝説の島の蓬莱山に不老不死の薬を求めて「徐福」という名の男を派遣したという。蓬莱山の住民はみな不老不死であったと考えられていました。中国の東方の島とは、日本列島であり、蓬莱山は富士山(不死山)ではないかと言われています。徐福は数千人の規模の一団を率いて、日本に渡ってきたといいます。事実、日本には徐福伝説が多く、古文献まで実際存在していると言われています。「宮下文書」という古史によると徐福は富士山を目指し、富士山麓にあった富士王朝に帰属したといいます。そして、徐福の子孫が秦氏となったというのです。真相は定かでありませんが、この不老不死の薬を求めてきた「徐福」の日本に上陸した地が、若狭の近く丹後半島(竜宮浦島伝説の地でもある)だとされています。また、秦氏は、平安前期の陰陽寮の長官などにも名が散見できるなど陰陽道にも深く関わっています。(陰陽道宗家賀茂氏は秦氏の支族なのです。) 秦氏は、渡来民でありますが、謎の多い一族です。平安京造営の当時、山城の国(京都付近)をおさえる実力者でもあり、造営に当たっては土地や資金を提供し、さらには、造営にも技術面の責任者など大きく関わっていたといいます。実は、秦氏の正体は聖地エルサレムから消えた、失われた十部族のひとつであるユダヤ人キリスト教徒であったという説があります。 平安京の名は桓武天皇が決定しましたが、その名について記録がのこっています。平安京の名は誰がいうともなく都を誉めたたえて呼んだという。つまり、一般の人(そこで生活をしていた人、すなわち秦氏)がいつの間にか平安京と呼んだというのです。そして、平安京という名をヘブライ語に訳すと実に不思議なことがわかります。平安とは「シャローム」、京すなわち都は「エル」、すなわち平安京は「エル・シャローム」、そう聖地「エルサレム」なのです。 若狭の国には、八百比丘尼伝説や竜宮伝説、若狭の国名にも見れる不老不死というキーワード、また、安倍晴明とかかわりのある名田庄の地、密教寺が多く点在することなど、陰陽道に不思議とつながっていく謎めいたものが感じられるのです。 |