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『彼ら(ラピュタの天文学者)は火星のまわりを回転している二個の小さな星、つまり“衛星”を発見している。その二個のうち内側の星は、そのもととなる惑星つまり火星の中心から、火星の直径のまさにその3倍の距離を保っており、外側の星の場合はそれが5倍である。前者が一回転するのに要する時間は10時間、後者は21時間半である。したがって、この二つの衛星の周期の二乗が、その火星の中心の距離の三乗にほとんど同じくらい比例している。ということは、他の天体を支配しているのと同じ引力の法則によって、この二つの衛星が支配されていることを、明らかに示している。』 ( 『ガリバー旅行記』 岩波文庫 平井正穂訳 236頁) これは、イギリスの作家ジョナサン・スウィスト(1667〜1745年)が1726年書いた風刺文学『ガリバー旅行記』に出てくる一節です。これは、その第三篇にあたる空飛ぶ浮島《ラピュタ王国》の話にでてくるラピュタの科学者の活動をガリバーが記述する部分です。 よく考えてみましょう。火星の二つの衛星は、1877年、アメリカの天文学者アサフ・ホール(1829〜1907年)によって発見されました。この『ガリバー旅行記』が書かれたのは、1726年。衛星が発見される150年も以前に書かれているのです。 フォボスは火星の直径の1.3倍のところ(9300キロ)にあり、公転周期は7時間39分、ダイモスは同じく3.5倍のところ(24000キロ)にあり公転周期は30時間18分ですので、ガリバーの記述と当たらずといえども遠からずといった数値なのです。 これは偶然なのでしょうか? 世界の神話は古代の天変地異の記憶だとする『衝突する宇宙』の著者であるロシア生まれの精神分析医イマニュエル・ヴェリコフスキー(1895〜1979年)は同書の中で、かつて火星が地球に異常接近した際の古記録をスウィフトが見ていた可能性を示唆しています。 はたして、このラピュタ王国の科学者の活動の記述は、現在では失われてしまった知識・記憶が利用されたのでしょうか? 不思議なことです。 わしは、宮崎 駿監督のアニメ映画「天空の城ラピュタ」が好きじゃ。 あの映画に描かれているように、今は滅んでしまったが古代には高度な文明があって、そのときの記憶や知識が、本当に今に語り継がれているのだろうか…? えっ、おまえはいったい誰だって? そんなこったぁどうでもいいじゃないか。 火星に月が二つあるという説を唱えたのはスウィフトが最初ではないのじゃ。この説の元祖は16世紀のドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571〜1630年)であ〜る。これは、1610年にイタリアの天文学者ガリレオ(1564〜1642年)が木星に四つの月を発見した時、金星がゼロ、地球には一つなので、その中間の火星には月が二つあるはずだと考えたからじゃ。2個でも3個でもいいのであるが、ケプラーが当時熱中していた等比級数という美学的趣味によるものらしい。なんて安易な発想なんじゃろう…。 スウィストがこのケプラーの説をしっていたことは想像に難くはないのう。 スウィストが、その作品の記述の中で衛星の軌道を火星の近くとしたのは、火星の衛星がなかなか発見されなかったので、衛星が火星に近すぎて火星の輝きに飲まれているためだと考えたのだろうし、その結果、「ケプラー第三の法則」によって考えると公転周期も遠からぬ数値になったのじゃろう。 それと、ヴォルテイル(1694〜1778年)のSF的作品『ミクロメガス』(1750年)にも、太陽系を通りかかったシリウス星系人が、火星には衛星が二つあるとメモする場面があって、当時ケプラーの説が広く知られていたことがうかがえるのじゃ。 1971年、マリーナ9号によって発見されたフォボスの二大クレーターには、衛星発見者のホールとその妻スティック二イの名前がつけられたのじゃが、ダイモスの二大クレーターには、ヴォルテイスとスウィストの名前がつけられたのには、こう言う理由があったのじゃ…。 はっはっは。 それより、おぬしらはこの「ガリバー旅行記」の第三篇の第十一章(299〜303頁)が「日本渡航記」と言って、日本が登場するのを知っておったかい。物語に登場する国名が架空のものであるのに、日本だけが実名で出てくるのじゃ。「長崎」「江戸」「踏絵」など、結構日本の関する記述は正確じゃ。この物語をイギリスのジョナサン・スウィストが書いたのは1726年。当時のイギリスから見れば日本は東の果て。なんで、スウィストはこの東の果ての小国である日本を実名でとりあげたのじやろうか。ちと探ってみることにしょう。 わしは、エゲレス? いや イギリスに渡って探ってみたんじゃ。 まず、どうやって日本の知識を得たのか。わしは、日本について書かれた17世紀の本を探してみた…。 すると、あった、あったわい。 かの東インド会社の船医として来日し、二年にわたって日本に滞在したことがあるドイツ人の医師、エンゲルベルト・ケンペルの書いた「日本誌」(1727年発刊)という書物を発見したんじゃ。この「日本誌」は「ガリバー旅行記」より後に発刊されたのじゃが、1726年には原稿が完成しており、当時すでに「日本誌」の英訳出版が準備されておったらしいのじゃ。しかも、「日本誌」を英訳したドクター・アンバサダなる人物はスウィストの親友であり、彼が英訳作業を進めていた1726年の4月から8月にかけて、スウィストもロンドンに滞在しておったのじゃ。これでひとつ謎が解けたわい。 それじゃあ次に、わしは「ガリバー」にはモデルがいたんじゃろうか、知りとうなった。 イギリスを旅していると、「ガリバー旅行記」でガリバーの出身地として登場する「レドリッフ」という港町が実在することをつきとめたんじゃ。「ロザハイザ」という港町。古くは「レドリッフ」と呼ばれていたそうじゃ。ガリバーの出身地が実在したとなれば、モデルがいた可能性がますます高まった…。 わしは、17世紀に西欧諸国が東洋貿易のために設立した特許会社「東インド会社」の記録が残っている「東インド会社記録所」を訪ね、当時渡日した船乗りについての記録を調べてみたんじゃ。すると、歴史でなじみのある名前が出てきたんじゃ。 その名前は、ウイリアム・アダムス。そう、三浦按針(あんじん)という名で日本史の教科書でも出てくる人物じゃ。1598年、東インド会社東洋派遣隊の航海長として航海中、暴風に見舞われ大分県に漂着した、日本に来た最初のイギリス人じゃ。「東インド会社記録所」の所員も日本になじみの深い人物として、アダムスの名を挙げてくれた。 ウイリアム・アダムス(三浦按針)の住んでいた町は「ラドクリフ」。妙にガリバーの出身地「レドリッフ」に響きが似ているんじゃ。ラドクリフとレドリッフ(現ロザハイザ)はテームズ川をはさんでその両側にあり、地理的にも近い。偶然なんじゃろうか。 ガリバー=ウイリアム・アダムス(三浦按針)という確信めいたものが、わしの心の中で色濃くなってきた。 ガリバーとウイリアム・アダムス(三浦按針)を結ぶ要素はなんなんじゃろうか?わしは、スウィスト研究者にあって聞いてみたところ、スウィストの蔵書の中に「パーチェスの巡礼」という本があるということを教えてもろたんじゃ。「パーチェスの巡礼」は、17世紀にサミュエル・パーチェスにより編纂された海外の冒険を収めた大著である。調べてみると、ウイリアム・アダムス(三浦按針)の日本漂着に始まる物語が収録されておるではないか。スウィストは、この本によって按針のことを知ったに違いない。 わしは、こう結論づけた…。 「ガリバー旅行記」の中で日本だけが実名ででてくるのは、空想の物語を多少なりとも現実との関連を残し、読者の興味を削がないようにしたのであろう。 そして、ガリバーというキャラクターは、ウイリアム・アダムス(三浦按針)の波乱に富んだ生涯がかなり投影されているじゃろうし、ウイリアム・アダムス(三浦按針)がいなかったら、「ガリバー旅行記」という作品も生まれなかったのではないじゃろうか? そう考えると、ガリバー=ウイリアム・アダムス(三浦按針)なのかもしれん…。 さて、今回の「ガリバー」とともに歩いた旅も、そろそろ終えるとしよう。 では、諸君、また会う日まで…。 達者でのう。 参考:「ガリバー旅行記」 スウィスト 平井正穂訳 岩波文庫 「とんでも超常現象99の真相」 と学会 宝島社 「TVムック 謎学の旅 2」 日本テレビ社会情報局編 二見書房 |