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Janken-pon



 毎週、「サザエさん」のエンディングで<サザエさんとのじゃんけん>をするが僕の楽しみです。
 じゃんけんは、グー、チョキ、パー、いわゆる「石」、「はさみ」、「紙」で勝負するもので、その起源は、色々な説があります。古代中国の本拳(二人が向かい合って、掛け声をかけながら、右手の指をリズムに合わせて屈伸させ、左手は数取りとして、双方の伸ばした指の合計数を瞬時に言い当てる遊び)が起源で、これが元禄時代に日本に伝わり改良されてじゃんけんが生まれたという説もあるそうです。
 この「石」「はさみ」「紙」は、三すくみの考えをもとにしています。三すくみっていうのは、蛙は蛇を恐れ、蛇はナメクジを恐れ、ナメクジは蛙を恐れるという関係に代表される、物事は循環していくんだという考え方です。
 このような、「石」「はさみ」「紙」というじゃんけんの世界分布を調べると、東アジアでは普遍的に分布していることや、東アジアと密接な関係を持っていた英国の旧植民地に分布しているなどから、東アジア起源ということが分かるらしいのです。
 この三つのあいだで循環する、物事は循環していくんだという思想は、多神教の倫理につながります。

 河合隼雄氏(京都大学名誉教授、臨床心理学者)は、その著書「日本人のこころ」の中で、宗教に関連して次のように語っています。
 宗教というと、近代は一神教の世界。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、いずれも一神教です。この一神教というのは、大きな癖を持っていると思います。それは、二項対立です。つまり、神に対する悪魔。真理に対する虚構。正義に対する不正。一神教では、あるものを神だと認めたら、それに対する対立物を定めてしまいます。全部ふたつに割ってしまうのです。これは、論理としては大変すばらしいもので、ものごとを単純化することによって、近代科学というのは成立したと考えられます。
 でも、世の中はそんなに単純化できるのでしょうか?
AとBがあったら、AとBが重なる部分があったり、始めはAの立場だったけど、周囲の事情でA寄りのB、B寄りのA、またはBになってしまうこともあります。これは、一神教でいったら改宗という、やってはいけないことになるわけなんですが、世の中の現象というのは、そんなものではないと思いませんか。
 また、一神教のひとつの特徴として、たいへん戦闘的だということがあげられます。唯一の神を広めることこそ、われわれの義務だと。20世紀がたどった道、軍事大国、経済大国、両方とも戦争の原理でした。
 一神教の倫理はものすごくわかりやすい。神様がいいか悪いか判断するから。しかし、多神教の場合は、ある神が「イエス」ということを他の神は「ノー」というかもしれない。そうしたら一体どうしたらいいのかという問題がでてくるわけですよ。原則として、多神教の世界では、真理はひとつじゃないのです。

 日本には、「和を以って貴し」という言葉がありますよね。
日本は、八百万の神と共生して暮らしをたててきました。神々が平和に暮らすためには、争ってはいけないのです。ここから和の思想が生まれたのではないでしょうか。人と人、人と自然、自然と自然との和。ここから神々が争うといったことは考えられないし、現に、仏教も儒教も神道は拒まず、共存共栄してきました。
 現在、世の中を見ると、色々な争いが起こっています。正義と不正義、白と黒というような分けていく思想が行き詰まりをみせています。これからは、今まで対立的に考えていたものを対峙という次元ではなく、それぞれの接点や共生という形で考える、いわゆる「多神教のこころ」が大切になってきているのではないでしょうか。
「じゃんけん」の中からこんな風に連想を広げてみました。
 あなたも今度の日曜日、「サザエさん」を見て、そして、エンディングの<じゃんけん>をやってみませんか。ほのぼのとした気持ちになりますよ…。


参考:「日本人のこころ」 河合隼雄 潮出出版社




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