|
立春の日の2月4日、福井県遠敷郡名田庄村納田終の天社土御門(つちみかど)神道本庁では日本で唯一残されている陰陽道(おんみょうどう)の鎮魂祭「星祭本命属星大祭」の儀式が行われている。 この名田庄の地は、大陰陽師 安倍晴明(あべのせいめい)の末裔ゆかりの地であり、「泰山府君」の神領地として一千百有余年にわたり朝廷と幕府の庇護の下に、陰陽道および天文・暦・易の三道をつかさどった陰陽道宗家 安倍家(名田庄に移りすんだのち土御門家と名乗っている)に継承されてきた場所なのです。応仁の乱の戦火をさけて、所領の地である名田庄へ京都より百十余年にわたり移住していました。 (名田庄村のこの地は、安倍家第3の聖地といわれています。) いま、陰陽師の安倍晴明がひそかにブームとなり、小説や漫画になったりしています。 では、この陰陽道とは何か、安倍晴明とはどんな人物なのか、ちょいとふれて見ましょう。 陰陽道は、日本史の闇の部分を貫き、政治を背後から動かしてきたといっても過言ではありません。その吉凶を読み未来をみわたす占術、強大な呪力により魑魅魍魎を封じ鎮める、鬼神をも操る呪術の神秘的な力を、朝廷や武家などの権力者たちは明治時代にいたるまで恐れ利用してきました。 平安京は陰陽思想で造られたといわれ、京都御所の鬼門封じとしての比叡山延暦寺は有名です。また、徳川家康による江戸の都市造りについても陰陽道理論により江戸の霊的防備装置が造られました。(鬼門に東叡山寛頴永寺を建立、裏鬼門の押さえとして神田明神を移すなどしています。) 陰陽道の歴史としては、紀元前の古代中国で芽生え研究され、それが朝鮮半島を伝わって今から約千六百年前に日本にもたらされたとされています。 陰陽道とは、天体・宇宙の変化が人間社会の吉凶禍福と関わっているという認識を基本とし、陰陽五行説、万物は陰と陽の二元性そして木・火・土・金・水の五元素の組み合わせで成り立っており、その変化のなかに人間社会のあり方を考えようとするものです。 まあ、難しく言っても判らないので、現在に息づいている陰陽道由来の習俗をあげてみるとなんとなく判るかもしれません。例えば、結婚式に大安の日を選んだり、葬式に友引の日を避ける。また、還暦の祝いや、引越しに際しては鬼門の方向を避ける、生年の干支にちなんで運命を占う。地鎮祭、七福神や「当たるも八卦、当たらぬも八卦」易占いなどなど。 古代の日本でも占術は盛んに行われ、政治や経済、軍事などの政策決定が行われていましたが、陰陽道のように「ひとつの現象や行為が何をもたらし、それを吉とでるか凶とでるか、もし凶なら防ぐ方法は何なのか?」を細部にわたって教えてくれるものではなかったのです。ですから、当時の知識人は、陰陽道の占術に驚き、一気に日本社会に広がりました。この宇宙の構造を解き明かす陰陽五行論は思想として、易学(占術)や暦道、天文道などは当時の最新科学技術として受け入れられたのです。 安倍晴明の生きた平安時代は、雅な貴族文化を想像しますが、その裏には、悪霊や怨霊におびえ多くの儀式がとりおこなわれていました。多くの神社仏閣は怨霊を鎮めるものであり、菅原道真に見られるように平安は怨霊と呪いの歴史なのです。この悪鬼怨霊から身を守るため陰陽道はなくてはならない技術だったのです。占術という統計科学によって予測された未来に起きる不幸を、呪術というオカルトによって回避するのです。 占術は「天」の星の運行、「地」の方位、「人」の三大要素を分類しその組み合わせで過去や現在、未来を言い当てるものです。式占、易占、暦占、方位占、命占、地相占、家相占、があります。呪術は怨霊を鎮めることを目的とし、密教や修験道、道教の呪術を吸収発展し、最強の呪術として平安時代に君臨します。式神、蟲毒、人形、反ばい、方忌み、方違え、物忌み、祓い、泰山府君祭があります。 平安時代にはなんと陰陽寮という天皇直結の中務省に属する役所がありました。 天皇は、陰陽寮を設置し、陰陽師を国の役人とし、民間の陰陽師を禁じました。それは陰陽道の力を恐れたため、すべての陰陽師を自分の配下に置き、陰陽道の技術を独占することで解決を図ったといわれています。 陰陽寮の仕事は4つの部門に分かれています。 陰陽道…陰陽五行論による占術と呪術 天文道…天体運行を観測し、天の法則を陰陽五行論にもとに解析し吉凶を予測 暦 道…方位や時間に関する吉凶を占う 漏 刻…時間を定め、それを伝える それぞれの部門で国家や天皇の吉凶を占い、凶の兆しがあれば陰陽頭はそれを上奏するのです。 わかり易く現代風に言えば、暦道は暦で天候を管理し、農業予測や政策を作成し、天文道は、天体や天候を観測し、天変地異を予知、漏刻は水時計で宮中や天皇の時間とスケジュールを管理しました。国家の政策指針のすべては陰陽寮の陰陽師たちによってつくられたといっても過言ではないでしょう。そして、公務として数多くの祭儀が執り行われていました。 このような背景の中、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」「平家物語」に語られ、また、江戸時代には歌舞伎、浄瑠璃、仮名草子の題材にあつかわれ、時代を語り継がれてきた大陰陽師 安倍晴明が登場してきました。 つづく |
| [時の行者INDEX] | [NEXT] |