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MIZU



 古代日本人の最高のほめことばは「みず」です。
この国土は、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と賛美されていました。
ホとは、秀でたものをいい、まさに生命の満ちたみずみずしく秀でた最高の状態をしめしています。
また、神社の回り(神域)を囲む垣根を瑞垣(みずがき)、神域の長寿の木の枝を瑞枝(みずえ)とも呼んでいます。
 MIZUは、古来より日本人に深く関わってきました。
 誕生とともに産湯につかり、元日には、魂の再生を祝う”若水取り”を、お盆には先祖の霊を送る”精霊流し”、慶事には”水引”、そして”末期の水”で一生を終える。日本人にとっては水は神聖な信仰の対象であり、共同体の絆でもあったのです。
 水は生命を司どるものであり、神道でいう禊(みそぎ:罪や穢れをそそぎ流す儀式であり”水そそぎ”の略)のための水であり、産湯(これからの生命を祝い、再生した魂を寿ぐための儀式)であり、蘇生の水であったり、末期の水(生の期間のこの世の穢れを取るのと同時に魂自体が新しい世界に向けて復活するための水)でした。このように、生命を司る水は人のサイクル、転生のサイクルを巡り、生命は巡り生まれ変わる、人の魂に終わりはないという信仰につながっていく古代日本人の独特の生命感であったと考えられています。

 水というのは非常に素直であり、どんな器に入れてもどんな形にもなる。どんな色にも染まる。どんなものでもなかに包んでしまう包容力があります。だけど水そのものの本質は絶対に変わりません。これは、日本の神道、日本の生活とまったく同じなのです。日本人は外国から、なんでもかんでも文化を取り入れる、真似をする。神道も、仏教とか儒教とか、なんでもかんでも取り入れる。仏教のいろいろなものを取り入れながら、本質はまったく変わらないものが神道です。まったく、水も同じ性格をもっています。
 また、生物は水で生きています。人間の身体には、だいたい60%が水でできていて、進化の過程で、海から陸にあがったきたとき、海の生活をそのまま引きずって上がってきたのです。ですから、水で生きている訳で、結局、きれいな水、栄養のある水が身体にないと、健康になれないのです。健康な人と病気の人の身体の水を調べてみると、病気の人は濁っている。健康の人の水は非常に透明で、水そのものが健康に与える、影響が大きいことがだんだんわかってきたわけです。こうした、水の力というものを日本人は直感的に知っていたのです。
 その水の力によって穢れを祓い去るのです。「けがれ」とは、神さまからいただいたエネルギー「気」を枯らしてしまうものという意味が「けがれ」=「気枯れ」です。気をからしてしまうようなものを身につけていると、病気になったり、不幸になったりするわけです。それを水の力によって祓う。これが、神道の儀式の「祓い」ということです。水には、それだけのすごい力があるのです。
 本来の日本語は奥が深く、言霊信仰といって、言葉には魂が宿るという考え方があり、一音一音に意味があります。たとえば夜空の月「つき」は、「つ」というのは「丸い」という意味(だから、「つつ」は筒というのです。)、「き」というのは「奇」です。不思議だなあという意味です。だから、月というのは三日月になったり、丸くなったりして不思議だなぁという意味で「つき」なのです。また、「はい」の「は」は蘇る、「い」は命という意味で、命が蘇るという事です。ですから、花咲か爺さんがまいたのは「灰(はい)」で、これにより、生命が吹き込まれ花が咲いたのです。返事の「はい」も同じ意味を持っています。
同じように考えると「みず(づ)」は身を包むもの。「み」は神さまの姿(身)であり、自分自身であり、三(真・善・美の三つ)も意味します。「つつむ」は、中になにかを宿すことです。ですから、「みず(づ)」(身を包む)は、内部に神さまと自分自身の本体を宿すという意味になってきます。
 最近の研究では、水の分子というものは、人の心の動き、喜怒哀楽によって、分子の配列が変わることががわかってきました。神聖な場所から湧いてくる水というのは、非常に分子の配列がきれいに整っており、たくさんの人が死んだような場所から湧いた水は、調べてみのと分子の配列が非常に乱れているそうです。これは、水は生命情報のフロッピーディスクのようなもので、水の分子の配列が情報を転写したり記憶したりするのに適した状態となるそうです。波動医学という分野があって、そこではこの水の情報転写力を利用したりしています。想いは水に宿るのです。
このような水の持つ特殊な性質は、まさに「みず」という言葉のもつ意味と同じではないでしょうか。

 日本語で美しさを表現する言葉のひとつに「みずみずしい」があります。美しさを表現するのに「水分をいっぱい含んでいる」状態を指していうのも、日本人の水に対する思い入れを感じる表現です。
玄関先に打ち水するのも、ほこりを単に抑えるだけでなく、水をかけるだけで、その場所がみずみずしく生き生きしてくるからです。お客様の来る時に打ち水するのは、一種の美しさへの心配りなのです。
「水もしたたるいい○○」という言葉がありますが、水にぬれたつややかな美しさを表現した言葉からの連想です。日本人は、湿気の多いことを拒否するのではなく、水気を生活に取り入れることで、その独自の美的感覚を養ってきました。(濡れた感じが美しいのです。)
 日本人はよく「済みません」と言います。「ごめんなさい」という詫びる意味だけでなく、「ありがとう」を言う時も「済みませんでした」を使用します。自分の過失を詫びる意味の場合、お詫びしても尽くしきれないので「済んでいない」ということです。しかし、この「済みません」には、水に流す行動が表れた言葉と考えられるそうです。
「済まない」とは、物事の流れを自分がせき止めて「済まない(澄まない)」ということから来ているとも考えられています。「流れに従順じゃなかった自分が悪かった、お互い水に流して、新しい澄んだ気持ちになりましょう」ということではないでしょうか。
 水に関することわざも多くあります。
  「水いらず」   親しいものだけの集まりで、疎遠な他人がまじわらないこと。
  「水をさす」   その場の雰囲気をしらけさせること。
  「水も漏らさぬ」 警戒や防備などが、きわめて厳重なこと
  「水かけ論争」  両方が互いに理屈を言い合いいつまでも解決しない。
  その他、「水心あれば魚心」、「流るる水は腐らず」 などがあります。
 「過去にこだわらず、議論せず、責めず、すべて受容し、許す。「水に流す」心情こそ、世界に例のない日本人の本質である。」とも言われています。

 MIZUは、心の豊さややさしさがこめられた美しい言葉であり、自然との共生、生命の根源でもあるといえます。

日本では古来、月には飲めば若返るという「変若水」(おちみず)という水があると信じられてきた。
「万葉集」13巻3245「天橋も長くもがも、高山も高くもがも、月読の持たる変若水、い取り来て、公に奉りて、変若得しむもの」と詠まれている。
「変若水」を原文では、『越水』(おちみず)と書かれてある。不老長寿に効能のある越水(変若水)、福井県に関係があるのか?
不老不死と言えば、福井県小浜市の八百比尼伝説もあるし、「若狭」の国の名も永遠の若さに由来(若狭彦、若狭姫)するという…。





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