|
高野 誠鮮(羽咋市職員/コスモアイル羽咋) 1996年11月9日(土) 会場:福井県立鯖江青年の家 |
|
私は、石川県羽咋市役所の職員で、コスモアイルという宇宙科学館につとめています。 私たちは、UFOでまちづくりということをやっていますが、なぜUFOでまちおこしなのか、あるいは、どういうことを具体的にやってきたのか、どうしてこのような施設を建てたのか、ということをお話したいと思います。 |
◇「まちづくり」は「こころおこし」 |
|
実は私はUターン組なんです。昭和58年に帰ってきたのですが、それまで何をしていたかと言いますと、「11PM」という番組を作っていたんです。しかも、水曜イレブンのUFOの番組を担当していました。矢追純一の番組も作っていました。 実は、生家は寺なんです。50軒位しかない村にある寺なんです。檀家の数も少ないですから戻ってきても食ってけないんですね。長男が結婚して東京に家を建ててしまい、どうも戻ってくる気持ちが無いようなんですね。いったい誰が親の面倒をみるんだということになりまして私は帰らざるおえなかったんです。帰ってきましても、二人も住職いらないですし、なにかして働かないといけない。就職口を捜した時なにもないんですよ。羽咋市で、有力な企業といえば、まずは役所、その次は銀行、郵便局、農協という順番で4つ位あるんですね。で、どれがいいかと言うと、どれもいやなんです。だいたい28才を過ぎて雇ってくれる企業はないんですよ。はたと困りましたが、それでもあったのは、役所の臨時職員募集というのがあったんです。それまでは公務員というのは見向きもしなかったのですが…。きちっとした生活なんですね、今までの生活は、深夜に人に会うと「おはようございます」という世界でして、まったく生活が違うんですよ。そして、採用されて最初に任じられたのが、税務課というところで、仕事をすればするほど人に嫌がられる場所なんです。そして、その翌年には、青年教育を担当しなさいといきなり社会教育課に異動になったんです。 僕自身は、実は、青年活動はした事がなかったんです。ドロくさいのがいやだったんです。おまけにグループ活動というのは大嫌いな人間だったんです。これにはよわったんですよ。青年団活動こんなものこの世からなくなればよいと思っていた人間が担当者になるのですから皮肉なものです。しかも与えられた命題が『まちおこしむらづくり』。これをテーマにしてやればどうだと言われたものですからたまったもんじゃない。まちづくり、そんなもの見向きもしたことがなかったんですよ。むらづくりそんなもの関係ないという世界です。それがいきなり青年を指導しなさい。やったことないものができるはずがないんですね。なにができるか、考えた時に本当によわったんです。青年団そんなものいらないと思っていた青年団無用論者ですので、それが青年団活動を指導しなさい、助言しなさいというのですから、とんでもない話ですよね。いったい役所というのはどうなっているんだろうと思いました。 与えられたものはしかたないなぁと思いながら、とにかく読めるだけの本を読んだんです。しかも『まちづくり』ですね。本屋へいきました。まちづくりに関する本、いっぱいあったんですが、自分の町をどうすれば、何を具体的にどうすればどうなるのかと言うことが何も書かれてないんです。そりゃあそうだと思います。成功した所の事例はいっぱい書かれていますが、自分の町はどうすればよいのかという事は一言も書いてありませんでした。それで、もう一度考えてみたときに、まちづくりは実践はできなくても、学習会は開けると思ったんです。とりあえずは色んな所を調べてみようと。なんでもそうなんですが何かやろうと思った時は情報収集が非常に大事になってきます。それで、人口2万から5万人までの市町村で、まちづくりを非常にうまく長くやっている所を、あるいは失敗した例を、114か所調べたんです。北海道の小さな村から沖縄まで徹底的に調べたんです。以前、テレビ番組の構成の仕事をしていましたので、構成というのは、色んな事を調査しないと書けないものですから、調査は得意だったんです。よく調べないと何事もできませんので情報収集してみたんです。それと、よくだまされちゃうんですが、出版物はウソが多いんです。新聞、テレビ、ラジオもそうなんですが、断片的な情報しか伝わっていないんです。特に本なんて物は、ウソが結構多いんです。僕自身がライターをやっていましたからよくわかるんです。で全部がウソとは言いませんが、かなり現実とは違いますね。こうしてまちづくりが成功したという事例はほとんどがウソです。どうしてかというと、きれいな言葉で綴ってあるんです。本音書いちゃうと売れなくなるんです。こうしてみんなで盛り上がって成功したというのは、最初から信用していなかったので、行ける所は直接いったんです。直接見に行ってみると、本に書かれてある事とぜんぜん違うんです。つまり、本音の部分というのは活字となって出てこないんです。例えば、百人でやったとか、何十人の委員会を作ってまちおこしが成功したとかいうのは、だいだいウソです。本当のところを見ていくと、キーパーソンとなるのはほんの3、4人なんです。多くて10人。それ以上の数になると、できないんですね。10人の人を集めて、ものの考え方を一致させて「せーのドン」とやるよう作業は、宗教団体くらいしかできないですよ。百人委員会を作ってまちおこしを成功したというのはウソですね。まあ、百人を集めようが、それを、実際に仕切って動かしているのは3、4人です。色んな所を調べてみてわかってのは、必ずキーパーソンはいるという事です。要するに、ネジ巻役ですよね。必ず、シンクタンクとなってブレーンとなって働いている連中というのが何人か、そういう仕掛人がいるんです。そういう連中がいるという事を実際つかんだり、あるいは114か所も調べていくと、色んな事が見えてきたんです。 自分達の町を考えてみた時に、まず、「まちおこし」というが、まず何を起こせばよいのか、町とは何ぞやという概念そのものも何も考えてなかったんです。常日頃、町ということを考えて生活している人というのはほとんどいないんですよ。ところが、よくよく考えてみると、町という社会を構成する最小の単位は『家庭』なんですね。つまるところ一軒の家なんですよ。1個ずつぶっつぶしていくと分かってくるのは何か。たとえ一軒の家しか残らなくてもそこは町なんですよね。という事は、家族として例えてみたり、あるいは一軒の家として自分達の町を見てみたときには、よく分かるだろうという考え方を持ったのです。どういう事かというとですね、一軒の羽咋という小さな家なんです。親父さんがいてお袋さんがいて、おじいさんおばあさんがいて、娘、息子、あるいは孫がいるという平均的な家庭を考えてみたのです。そう見た時にその家庭はどういう家庭なんだろう。羽咋という家はどういう家なんだろうと考えてみたのです。そうしたら、この家にいたらいけない人がいたんです。どういう人かというと、評論家。例えば、朝、出されたごはんがまずい、コップがよく洗ってない、玄関が掃除してない、ガラスが拭いていない、いや家の何が悪い、どこが悪い…。もし、そういう人が家族の中にいたら気持ちよいだろうかと考えたんです。気持ち悪いんですよね。頼むから出ていってくれないかと言うに決まっているんです。僕達の見方っていうのは何だったんだろうかと考えた時に、まさに単なる評論家だったんです。やぁ、町のここが悪いんだ、なにが悪いんだ、青年の活動に対する補助金もくれないし、青年の会館も造ってくれないし…。もし一軒の家としたら、自分達がその家に対して何をすべきなのか。例えば、人間には三種類の人間がいると言われているんですね。どういう人間かというと、いてはいけない人、いてもいなくてもいい人、いなくちゃならない人。と考えた時に、青年活動をしているというグループが四つあって青年団体連絡会議というものを作っていたのですが、その事務局を私に任されていたので、「じゃあ、その青年団体は、この町にとって、羽咋という一軒の家にとっていなくてはならない存在なんだろうか。」と問いただしてみたんです。町の人達からおまえたちはなくてはならないんだと言われているだろうか。あるいは、そう言った認識をもたれているだろうか。と考えたんですね。どちらかと言うといてもいなくてもどちらでもよい存在だったんです。「青年団体ぶっ潰れたってこの町やっていけるよ。」という認識しかもたれていないんです。これは、誰の問題なんだろうと考えた時に町の人の問題じゃないんですよね。自分達の問題なんです。自分が町にとって必要な人間なのかどうなのか。その団体がその町にとって必要とされているのかどうなのか。それを決めるのは自分達の行動なんです。それが評価を受け、なくてはならない団体となるのか、いてもてなくてもよい存在になるのか、という位置を自分が決めるんじゃなくて、いわゆる自分以外の家族が決めてくれるのです。そう考えたときにすごく反省をしたんです。いままでは、単なる評論家。どうもまちづくりには評論家はいらないやという話になっていったんです。一軒の家ですから評論家がいるとまずいんですね。どうか出ていってくれと考えてしまう。では、いったい僕達の家は現状はどうなんだろうということを見てみたんです。 さらにもう一つ例えて考えてみたのは何かというと、家を構成するのは人間ですよね。ですから自分達の町を一人の人間に例えてみたんです。そうすると奇妙な現象があるんです。例えば、自分の右手にナイフをもって自分の左手を刺す人はいないんです。ところが、人間同士、あるいは家族同士、家同士が集まって、地域社会を作ったり、あるいは、人間同士が寄り集まって組織を作ったりすると、ややもすれば、そういう傾向になってくるんです。あいつがいなくなったから俺の出番だ、と言ってノコギリだして自分の足を切っている人はいないんですよね。組織になるとたまにあるんですよ。町というのは、一個の人間のように運用されるのが最高の理想なんです。どういう事かというと、人間の身体ほど矛盾なく動いている機構はないのです。家庭から始まって地域社会、市町村あるいは県、国、地球が一個の人間のように動いていれば、自分で自分の腕や胸を刺したりしないんですよ。ところが、ややもすれば、そう言いったきらいになるのです。有機的なつながりがまったく無くなっているからなんです。こと全体がバランスをとって調和していないからなのです。これではいかんぞという話になっていったんです。理想としたのは何か。それは、一個の人間のようにうまく調和のとれた町というものを目指したのです。気持ちのよい町って何か。住んでいる人の80%が犯罪者だったら気持ちいいでしょうか。気持ち悪いですよね。外もろくすっぽ出られないですよね。そういう所に住みたいでしょうか。住みたくないですよね。で、気持ちのよい町って何か。その町はお金がなくったっていいんですよ。道路が整備されなくったっていいんですよ。近代的な施設がなくったっていいんです。気持ちのよい人間がいる所が気持ちいいんです。安心して住めるのです。夜もカギかけなくてもいいんです。町を人間として例えたわけですが、では、いい人間というのは、何なんだろう、という事を考えてみたのです。僕達は恥ずかしいから色んな物をペタペタ貼ってしまうんですね。例えば、肩書です。いろんなもの学歴やら地位やら名誉やらいっぱい貼っちゃうんです。それを一枚一枚剥がしていきます。そうすると、本質が見えてくるんです。「あの人はいい人だ」と言われていた人は、交通事故にあって両手両足が失なって車いすに乗る事になっても、その日から悪い人になることはないんです。どこがいいんだろうと考えた時、それは地位や名誉ではないのです。目に見えない人格なんです。結局人格、人ですよね。人の本質は人格なんです。立派な人とは、地位が立派というんじゃなく、人格が立派と言うことなんです。目に見えない「こころ」が立派だから、その人が立派になってしまうんです。そんな簡単な事が分からなかったんです。羽咋という町を一軒の家、さらには、一人の人間に例えてきて、それが立派な家、人、町となっていくためには…。「立派という本質は何か。」と言うと、目に見えない「こころ」の部分なのです。目に見える「身体」と目に見えない「こころ」があるわけですから、そのように考えていくと、まず、どこを最初に起こさなければならないのか、という事が分かってきたのです。町の身体って何だろうと見た時に、それは、町の自然でしたり、町の施設でしたり、道路の整備でしたり、目にみえる部分なのです。では、「こころ」ってなんだろうというと、それは町のコミュニティなんです。人と人とがこの地域についてどのような考え方を持っているのか。物の考え方なんです。だったら、どこを最初に起こさないといけないのかという問題が出た時に、僕等は企業誘致をする必要はないと考えたのです。何をすべきか。「こころ」おこしを最初にやらなきゃいけないと考えたのです。そこを起さない限りはやる気がおこってこないんですよ。「こころ」の部分をおこさない限りは、いくら身体の部分を立派にしてもなんら変化がない訳です。いくら立派な道路をつけたって、いくら立派な施設を造ってみたりしても「こころ」がおきない限りは何にもならないんですよ。そう考えた時、「こころ」おこしをやってみようということになってきたんです。実は話するとこれだけで1時間以上もかかる長い理念を作ったんです。ものの考え方です。なぜそんな事をしたかというと114か所も全国の事例を見ていくと、なぜまちづくりをするのか、まちづくりとはいったいなんなんだという理念・考え方が確立しているところ、背骨が入っているところは栄々としてうまくやっていたのです。理念・考え方のないところは、続いて3年、4年で先細りなんです。そう言ったことがわかってきたので、ものの考え方・哲学の部分になりますけれど、そいういう、ものの考え方の部分をとにかく作ろう、編み出そうとしたのです。一冊の本にまとめあげたりしてみた訳です。 では、「こころ」おこしということで、なにから着手しようか。さきほども言いましたように、町の悪いところばっかり見ないで、「それでは、町の良いところって何があるのだろう」と見てみたんです。ギネスブックという本をつくろうと運動していったのです。四つある青年団体から2、3人ずつ出てきてもらって、色んな分野、たとえば人・自然・文化・産業さまざまな分野について調べあげて、この町で1番のもの、誇りたいものを探してみようということで、市全体を調査にかかったのです。半年かかって「羽咋ギネスブック」という本を作って羽咋市の8千世帯全部に無料で配布したのです。これを作る時も、お金を出し合って、ワープロを打ったり、印刷屋にまわしたり、夜みんなでホッチキスを止めたりして、8千部作ったんです。それを町内会長にお願いして、配ってみたんです。すると、配ってみて色んな反響が出てきたのです。今まで、町づくり、青年活動に無縁だったお年寄りとの繋がりが出てきたり、「ギネスブックに載せてくれ。」と名乗りを上げるおじいちゃん、おばあちゃんが出てきたり、「うちの漬物は羽咋で一番うまいんだ。」という度量ではかる事のできないものまで出てきたりしました。とにかく自慢する事って、各人各家庭色んな所にあるはずなんです。色んな分野での一番というものを調べあげて、一冊の本にまとめ、それを見てもらうことによって、町の中の井戸端会議がどんどん変わってきました。色んな反応、反響がでてきたのです。で、そのギネスブックを作っている最中に古い伝記、伝承を調べていくうちに奇妙な古文書が見つかったんです。 |
◇「可能性の無視は最大の悪策である」
|
|
『そうはちぼん伝説』という不思議な伝記伝承なんです。『そうはち』といわれている麦藁帽子のような格好をしていて、縦に持って二つ合わせてぐるぐると回しながらたたく仏具があるのですが、そういう形をしたものが、『西山の中腹を東より徐々に移りゆきし怪しき火を、そうはちぼん、或いはちゅうはちぼんという。』と書いた古文書が出てきたんです。麦藁帽子の形をした光ったものが、東から西山へ飛んでいったと書いてあるのです。これは、現代で言うならば、UFOの神話ではないか。これはまさに、空飛ぶ円盤の神話があるということを意味しているのではないのか。と考えていったのです。で、最初は恥ずかしいものですから、仲間うちで「UFO信じる?」という話をそこら中にバラまいて興味のある人間だけ集めて、「こういう古文書が見つかったんだぜ」と言って話をしたのです。まがりなりにも自分たちの町を一軒の家にたとえて、一人の人間に考え直してみて、何をおこせばよいのかという理論体系を作って、そして、色んな行動をしてみようというものの考え方を一致させてきたのですね。それは、2年位かかったんです。その中で古文書がでてきた。同好の諸子だけ集まって「じゃあ、この古文書を拠り所にまちおこし、むらづくりを本格的に実践してみようじゃないか。」という話に盛り上がっていったのです。でも、あるのは古文書のコピー1枚だけなんです。これだけで、はたしてまちおこしができるのかという話になってきたのです。 まがりなりにも、114か所も調べて見ると、それなりに知恵というものが湧いてくるんです。まず、まちづくりの戦略を練ったんです。絶対戦略が必要なんですが、偶然に起る物事は絶対なく、どこかに仕組みがあるのです。ブームもそうなんですが、仕組みがあるのです。そのためには戦略を練らなくてはいけないんです。そのまちづくりの戦略とは。 1つは『思源作戦』と名付けた作戦です。資源がないので、思う源と書いて思源、「知恵を出そうよ」という戦略なのです。お金もありませんし、訳も分からない怪しい古文書を頼りにしてまちおこしだといっているグループに対して助成金、補助金も出ませんから、智恵を出していこうという事をまずベースに置きました。 次にあげた具体的な戦略とは何か。『マスコミおこし作戦』です。まちおこしの根幹はマスコミにあるんだという考え方なんです。なぜかというと、まちおこしというのは謙譲の美徳を誇る時代じゃないんですね。どういう事かというと、どこでどんなにつまんない事をしていても、日本中の人に知ってもらう必要があるんですね。まちづくりというものの考え方からは、人に全然知ってもらわなくてもいいんだということはないんです。わが町を知ってもらいたい、そのためにはどうすれば良いのか。マスコミが流してくれればいいんですね。新聞、テレビで連日連夜ニュースで報道してくれて、雑誌で掲載してくれれば、町の宣伝になるんです。それで、お金がない訳ですから、タダで報道してくれる方法。それはあるんですね。それは何か、その担当者の触手を動かせば良いだけの話なんです。担当者っていうと、新聞であれば新聞記者が、触手を動かすようなものの書き方ってあるんですよ。テレビの構成をしている連中がピンとくる動かし方ってあるのですよね。人間って、知・情・意と動きます。知それは、智恵=情報ですね。情報が目・耳から入って情=心が動くんです。そして行動になるんです。肝心かなめなのは何か、それは、目・耳から情報を入れてやるのが絶対必要不可欠なのです。ですから、一部上場している企業は毎日のように商材を売り込むんです。テレビをつけると同じようなコマーシャルを朝から晩まで流すんです。年間何億という巨額のお金を投じながら流すんです。それには訳があるんです。知ってもらうという事が問題なんです。その次に心を動かしてもらう。そして買ってもらう。だから戦略について企業は敏感です。物を売る戦略はみんなそうなんです。知ってもらって、心を動かして、買ってもらわないとその企業はなりたたないんです。ですから彼らの使う手段が1番ベストなんですね。だったら自分たちの町を売り込むにはどうしたらよいか。それは『マスコミおこし』しかないんです。 3番目にあげた作戦があるんですね。『人脈拡大作戦』という作戦です。UFOでまちおこしをしようという20代後半の人間が10名程集まったのですが、その彼らに人脈あるかというとないんです。たとえば、人脈を人にひけらかす人がいるとします。「あの人知ってる、○○会社の社長をしっている…」というように、知っていることだけを自慢するんです。それを分け与えて町のために活用してくれという人はいないんです。たまにはいますけれども、だいだい人にひけらかすだけの材料なんです。これは、町づくりの観点からは考えられないんです。それを人にひけらかすのではなく、それを人に分け与えて町のために活用しないといけないんです。ですから、人にひけらかす人がいれば、そこに僕達は「人脈を分けてください」と頭をさげにいったんです。マスコミの人材・人脈というものを、県内外を問わず色んなところの縁故関係や人脈をもっている人を頼って人脈を拡大していった訳です。 その次にしたのは、『レター作戦』。手紙書きまくり作戦なんです。誰に最初に書いたかというとゴルバチョフ、当時のソ連共産党書記長です。クレムリンあてに書いたんです。ロシア語で封筒の宛名書きを作ったり、簡単なロシア語の「こんにちは」という挨拶を辞書をひきながら作ったりして、そして、後は英語で手紙を書いたんですね。一人で書くのではなくて、仲間全部が寄って夜な夜なゴルバチョフ書記長へ下手な英文で手紙書くんですよ。まず石川県の羽咋の自己紹介を書き、そして、「この羽咋でUFOによるまちおこしを始めました。これに対してゴルバチョフ書記長はどのようにお考えになりますか。ご感想とできれば我々に激励のメッセージを下さい。」と書いて出したんです。そして、その次に書いたのは、レーガン米大統領ですね。3番目にサッチャー英首相、ローマ法皇など世界を動かせると言われているVIPに手紙を書いたんです。手紙を書くと楽しみになるんです。すぐに返事きません。1か月に3本、楽しみながら出すのです。返事が来たかというとなかなか来ません。でも、出すことによって楽しみができるんです。普段、用事があると電話で済ましちゃうんですが、手紙ほど人の心を動かすものはないんですね。手紙は人の心を動かすひとつの手段なんです。へたな英語やロシア語で、みんな連名で、手紙を書いてサインして出すという事をやり続けました。それで回答率というと、だいたい45%くらいです。結構来るもんなんです。返事が来たらどうしたかというと、来た返事をマスコミに流したんですね。1粒で2度おいしいんです。来た返事も使えるし、我々も楽しみながら待つ事ができるんです。1番最初に来たというのは、ソ連からなんです。ソ連大使館から茶色封筒が届いたんです。「こりゃゴルバチョフの返事がきとるんやぁ、この中に…」とにかく開封はみんなが集まったときにと考えていましたので、届いたその夜に、(その当時私は羽咋公民館に勤務していましたので)みんなに電話をかけ公民館に集まりました。「何んて書いてあるんやろう」と言ってハサミをジョキジョキ入れます。これが楽しみなんです。何から印刷物が出てきたんです。今日のソ連報という冊子が3、4冊出で来るんです。その中にまぎれるように1枚の紙が入っているんです。ゴルバチョフからの手紙だぁと思って出してみると、日本語でワープロの文字が出てくるんです。よく見ると書記官の名前がでてくるんです。「クレムリンに宛てた手紙・資料どうもありがとう。大統領は大変多忙なため、ご返事しかねますので、代わりまして大使館広報部がお答えいたします。…」大使館からでもうれしかったですね。打てば響くんだ、できないと思っているよりも、とにかくやってみる事なんだ…。やってみる事のたのしさ。それから、頭の中で考えているだけじゃなくて実際行動してみるという事の面白さをみんなが覚えたんです。そこから始まった信条・モットーが『可能性の無視は最大の悪策である』。とにかく1%でも可能性があるなら、徹底的にやってみようよ。最大の悪策とは何かというと、やりもしないうちから、絶対できないと言う事なんです。人間っていうのは、非常に狭い経験と知識で物事を判断しちゃうんです。長く生きていても経験が狭い人もいるんです。むちゃくちゃ若くても、ものすごく豊富な経験をしている人もいるんです。『可能性の無視は最大の悪策である』1%でも可能性があるのなら、とにかく突き進んで1%にかけてみようという考え方です。ですから、当たれば儲けものという考え方ですから、別に人に危害を加えるという事じゃないので、非常に気が楽になったんです。失敗したらどうしようという考え方ではないですから…。責任追及型、害虫駆除型のものの考え方じゃないんですね。とにかく、まちこわし的な発想とは何かというと、失敗したら誰の責任だと責任追及するんです。一歩も前へ進まないんです。悪いのはあいつだと言って責めてしまうんです。だいたい頭の悪い人がやるんです。僕等の発想は、たとえばこの町の人口が半分に減ってしまった。そうしたらどうするか。どうしたらマイナスとなったところをプラスとして捉えるか。どうすれば建設的に考えられるかというと、一度喜んでみるんです。そうすると、知恵が湧いてくるんです。たとえば、今の話ですけれども、急に半分に減ってしまった。実はうれしいことなんですね。出ていった人にみんなダイレクトメールを送って、特産品を売る事ができるんです。全国に羽咋出身者が1万人出ていくと、1万人のセールスマンができるんです。1万人のセールスマンが散らばったと考えるとこれは、とんでもないことなんです。これは企業にとってはプラスです。そういう発想をしていく。ところが、責任追及型だとそうはいかない。そんな考え方は捨てちまおうと考えたんです。もともと、私たちは『ふるさと創生』の生の字を星に変えてしまっていました。そんな地域エゴはやめちまおうと考えたんです。おらが町がよければいいんだという『我田引水』型はつまんないんです。おもしろくないんで『ふるさと創生』の生の字を星に変えちゃったんです。それで、レター作戦という手紙書きまくり作戦を行いました。5回も配達証明書付で出したのですが、最後まで返事が1回もこなかったのは、ふるさと創生を言い出した竹下さんです。他の外国に出した所は、代理なり秘書から返事が来ているにもかかわらず日本の総理大臣はなしのつぶ手なんです。同じ国民なのに一言も返事くれないんですね。しょせん日本の行政って言うのはこういうものなんだろうなぁと思いあきれかえってしまいました。もう1つやった作戦があります。 それは、『外堀作戦』。我々の町は田舎なんです。田舎の気質は何かというと、やはり一軒の家なんです。一軒の家というとどういう事かというと、自分の家の事は100も200も悪口言う人はいるんですよ。でも、家族のよい所をあげなさいというと言えないんです。見えないんです。逆に近所の家、隣のおばちゃんが知っていたりするんです。隣のおばちゃんが、そのお宅の僕の事をその家ではワルガキであるにもかかわらず、「お宅の僕ちゃん、こんなところが凄いのね」と言われてハッと気づく事があるんです。これは田舎になればなるほどそうなんですが、「地の神はすたれる」論というのがあるんです。たとえば、講師。みんな地元から呼ばないで、外から呼ぶんです。東京の人にこの地方のまちづくりのどこがわかるんだ。住んだ事がないのにわかるはずがないんです。なのに呼んでしまうんです。「地の神はすたれる」、地元に凄いのがいるのに外から呼んじゃうんです。この心情というのは、面白い心情なんです。地元にいいものが無いと考えている人がいかに多いかという事なんです。奇妙な特質なんです。外の方がいいんだと考えちゃうんです。だから、自分の〇〇というものについては、正しい評価はしないんです。ですから、最初から地元の人を交えて始めてしまうと、中で潰されちゃうんですね。俺の目の黒いうちは若い者のすきにはさせないという勢力が必ず出てくるんです。そういう人たちを避けるためには、この作戦なんです。近所のおばちゃんに言ってもらう作戦、『外堀作戦』と名付けたんです。「羽咋がUFOでまちづくりを始めた」というのを、まず最初に北海道に流しました。北海道の新聞・テレビ・タウン紙・雑誌、北海道だけのメディアをめがけて、連日連夜ファックスを流し続けたんです。1社でもいいからひっかかれと思って流したんですが、ものの見事にひっかかってきました。「ユニークな町おこし。石川県羽咋市でUFOによる町おこし。」地元羽咋では誰も知らないんですよ。でも、北海道で一部盛り上がったんです。次は九州。各県毎にメディアを調べて、情報を流したんです。その次、東北地方です。石川・富山・福井というメディアには、半年間だんまりをきめたままだったんです。一言も言わなかったんです。なぜそうしたかというと、理由があるんですね。自分の家の内部で知らない事があると気になるんです。家で何がおこっているんだろうと。北海道のある女子寮にいた女の子がラジオを聞いていたら「羽咋はUFOの町です。」と言うラジオが流れたんです。寮生が「石川県の羽咋ってあなたの町じゃないの。UFOの町だって、へ〜んなの。」そうしたらその子、バツが悪くって、いったいいつからUFOの町になったのか家に電話したんです。お母さんに電話したら、知らないんですね。「そんな事はないやろいね。そりゃ、そよの町やぞね。」「いや、確かに石川県の羽咋って言ったんやってね。」と言う話が来たんですね。お母さん、でもちょっと心配になるんですね。「うちの子が羽咋がUFOの町だって北海道のラジオで言うとってんやって。誰か知らない?」と言うのをどんどん色んな所で聞き始める。今度は九州からです。九州の新聞で羽咋がUFOの町だって書いてある。いったい誰が始めたんだろう。不安でならないんです。それが、中国、東北、近畿と近づいてくる訳です。そうなると、町の中の人間は、ほとんど無関心ではいられない。ついには、つき当てるんです。情報はどこから流れているのか。「どうも公民館から出しているらしい。一部の青年が集まって、あんな事をやっているんや…。」やっている事は認識されました。でも、UFOで町おこしって言っても、何にもやっていないんです。色んな批判を受けるんですよ。あるのは古文書だけなんです。それならばどうしたか。一応情報としては流れた。じゃ、次に何しようか。 それと、もう一つの外堀作戦っていうものもやっていたんです。APとかAFP、ロイターとかいう外電があります。そこにバンバン流したんです。ウォール・ストリート紙、プラウダなど新聞16社が書いてくれました。そういう事があると、東京の新聞も今度は気になるんです。「そろそろ具体的に仕掛けないと本当にまずいぞ。宣伝を先行させてきたから次には具体的に何か一歩踏み出そうよ。」 そこで、人間の文化生活の中で根幹は何か、これは食べる事だろうと言うことで、仲間うちにたまたまうどん屋がいたものですから、そいつに、「おい明日からメニューにUFOうどんを入れてくれよ。」と頼んだんです。「ちょっと待ってくれよ、親と相談してくる。」と彼は一旦帰るんですね。次の日の夕刻、また公民館に集まってきて、「おい、どうやった。」と聞くと、「のれんに傷がつくさけ、やめとけって言われた。」みんなは「どうにかUFOうどんをメニューにひとつ乗せてくれ。」と再度頼んだんですが、「末代までの恥になるさけ、やめとけって言われた。」と言うんです。でも、時はすでに遅しだったんです。その日は、水曜の晩だったんですが、実はもうすでに土曜日に呼んであったメディアがあったんです。週刊プレーボーイの記者を呼んであったんです。「特ダネがあるから来てくれ」と言って誘い水をかけてたんです。見事にひっかかりました。特ダネって何かというとUFOうどんの事だったんです。たまたま土曜日が親父さんがいない時だったので、彼が店を仕切っていますから「今日親父いないから俺作るわ」と言ってくれて準備をしました。私は私で、駅に記者とカメラマンを迎えに行ったんです。「特ダネは何だ。」と言いますから、「じゃあ、とにかく案内します。」と言ってうどん屋に連れて行きます。うどん屋はちょっと狭いんですが、記者の座ったちょうど後ろにお品書きがあり、黄ばんだ中に一つだけ新しい真っ白な紙にマジックで〈UFOうどん 380円〉って書いてあるんです。UFOうどんって何かというと、三角のアブラアゲの下に半円のナルトがあるんです。生タマゴを月に見立てて、草むらのつもりでワカメとかいわれダイコンがある。これは、月夜の晩にUFOが草むらに降り立つという構図なんです。記者が特ダネって何だといいますから、これをUFOうどんと称して持ってきたんです。内心みんな心臓が張り裂けんばかりにドンドンと鳴っているんです。ひょっとしたら記者は、いきなり机をひっくり返してそのまま何にも言わずに帰ってしまう。80%位そんな気がしたんです。こちらは心臓がドキドキあおっているんです。持ってきた彼も、心臓があおっているんですね。「これです。」と言って記者の目の前にドンと置いたんです。「これなんですか?」と記者は言うんです。「月夜の晩に、UFOが着陸しようとしたところを表したUFOうどんです。ここしかありません。これが特ダネです。」と言い彼を反応をジッと見ていたんです。目をつぶるんですよ。その目をつぶっている瞬間って非常に長く感じるんです。タラ〜と汗がにじんできます。彼はゆっくり目をあけるんですね。一言言ってくれました。じ〜っと見て「面白いじゃない。これ。」乗ってくれたんです。賭けだったんです。この「面白いじゃない。」という一言で、彼はこんな記事を書いてくれました。あるのは、ぺらぺらの1枚の古文書とUFOうどんだけです。なんと6頁もさいてくれたんです。よく書けるわと思うくらいです。みだしの記事がはずかしい《能登半島にUFOの基地ができた。》と書いてくれました。(何処にそんなものがあるんだ。)のりにのって、あること無いこと書くわ書くわ6頁。JR山手線の中吊りにも、《能登半島にUFOの基地ができた。》と赤抜きでドーンと載っけてくれたんです。それが出たものですから、家族連れが、「お宅ですかUFOうどん作っているのは…」と言って本当に食べに来たんです。親父は知らないものですからビックリしました。「そんなメニューうちにありませんが…」と答えると、週刊プレーボーイを広げて「これですけど…」。なんと息子が写っているじゃないか、UFOうどんと一緒に。親父は息子に「おまえどうなっているんだ。」と言うものの、客が来てしまってるので、「とにかくわかりました」と言って、家族連れにはUFOうどんを出したんです。それ1件だけだったらよかったんです。それがたて続けに、富山、福井、京都、長野、色んなところから来て、1月に600杯出ちゃったんです。1月に600杯もUFOうどんが出たものですから、これは親父も認めざるおえない。末代までの恥だとか、のれんにキズがつくと言っていた親父さんが認めたんです。その話が、商売をやっているラーメン屋さんに飛び火したんです。ラーメン屋の親父が「あそこがUFOうどんで儲けているのなら、うちはUFOラーメンだ。」と言って作ったんです。ラーメン屋の隣がたまたまケーキ屋だったんです。「隣がUFOラーメンだったらUFOケーキを作ってやろう。」「UFOケーキ作っているのなら、UFOパンだ。」パン屋の隣がお好み焼屋で、「UFOパンならUFOお好み焼だ。」「UFOお好み焼なら、UFOクリーニングだ。」と訳分からないものまで出てきたんです。そうこうしている内にUFOトラックや色んな商材が出てきたんです。僕等は、そうやって色んな商材が出て来ると、テレビのプロデューサーと掛け合って、とにかく取材して欲しいと攻勢をかけたんです。UFO饅頭が出来たときに、UFOとか旅の番組とかまったく関係のない番組で、視聴者プレゼントでやっちゃったんです。当時、昼に萩本欽一さんがやっていた番組のプロデューサーと掛け合って、「今週のプレゼント。石川県の羽咋のUFO饅頭。珍しいよね、この饅頭。どうなっているんだろう。1個食べてみよう。これはおいしい!」と言ったものだから大変な事になりました。テレビ局に、千数百本という問い合わせの電話が一気に入ったんです。その日のうちに、その店に千数百個の饅頭の注文があったんです。だから、町おこしの根幹は何かというと、マスコミおこしなんです。そして、饅頭が儲かるという話がまた飛び火して、色んなものが出来始め「UFO〜」が広がってきたんです。そうこうしているうちに、1年2年たっていきました。目指したビジョンは、僕等の頭の中でドンドン膨らんできたんです。夢は実現するものだと常日頃思っておりましたし、1%でも可能性があればやってやろうという気構えでいるわけですよね。ビジョンとは何かというと具体的に見えちゃうんです。目に見える形で見えて来るんです。夢なんだけど、現実に見えるんです。それは不思議な事に、現実化するんです。想像できない事は実現できないんですけど、想像できる事は実現できるんです。そうこうしているうちに、町でも何かしないといけないという動きが起きてきたんです。 |
◇ふるさと創星 |
|
|
外堀作戦で外から外からと攻めましたので、役所もやっと重い腰を上げ始めました。それまで、補助金などビタ一文くれといって要求した事はなかったんです。逆に向こうの方、役所の財政課長から、「おまえら何がしたい。」と聞いて来たんです。「来年、予算どりをしてみたい。」「それじゃあ国際会議でも開いちゃどうですか。」「いくら位かかるんや。」「300万か500万円位あれば出来るでしょう。」と答えたんです。そうしたら11月の予算編成時期に500万円つけちゃったんです。実際、自分のやりたい規模を考えてあわせて、NASAに色んなもの、ロケットや月の石や派手にあれもやってこれもやってと考えると、いくらかかるのか。実に6,000万円かかるんですね。5,500万円足りないんですね。一般財源500万円つけちゃったんです。やらなくちゃいけない。でも、可能性の無視は一切してませんから、「よし、できる。」と思ったんです。なぜか。協賛金を5社集めて1社1,000万円で5,000万円集まるじゃないか。5社捕まえればいいんだ。大手企業なら1,000万くらい出すよ。バカなんですね、今から考えると。どうしたかというと、UFO饅頭を片手に持って、役所の職員8人で4チーム作って上野駅に降りたっていたんです。寝台で羽咋を出て東京には朝着きました。UFO饅頭と書いた箱を僕は8箱持って、2人1チームで4チーム作ったんです。20社以上回るから、5つだけ1,000万円づつ獲得すればバッチリ。帰りの待合せも打合せして散らばりました。僕の担当したのは日清食品です。はずかしいですよ、UFO饅頭という箱を8箱も持って新宿の町を歩くのは…。歩いていくと、うちの役所より立派な日清食品の本社が出て来るんです。その十何階に広報部というのがあるんです。そこの部長さんにお会いしました。「先日お電話させていただきましたこういう者ですが…」と言って名刺を出しました。「これはお土産です。」と言ってUFO饅頭を渡しました。そして、B4判のペラペラの紙に企画書と書いて、いつどこでこういう風な国際会議をやります。中身はこうです。それから一番下に協賛金額1,000万円と書いた紙を出したんですね。部長さんは、う〜んと言いながら見ているんです。「これ何ですか?」と言うんです。企画書なのに何ですかはないですよね。「一応企画書なんです…」「ほ〜。ちょっと待って下さい。」と言って向こうから何か持って来ます。ドーンと分厚い資料の山を机の上に置いたんです。「高野さん。これ何か分かりますか。」と聞くのです。「これ、4,000万円のイベントの企画書なんですよ。これをちょっと読んでいただけますか。」それを見ると、4,000万円かけていったいそのお金がどのように有効に使われて、会社としてどのようなメリットがあるのか読み取れるんですね。安心できるんです。「これは1枚の企画書ですよね。これでわかりますか?」わかるように一応書いたつもりなんです。いつどこで何をやって、それで、お金出してくれという感じなんですが…。「日清として、1,000万円出すことによってどう使われて、どういうメリットがあるのかどこにも書いてありませんね。高野さん、4,000万円でこの厚さの企画書だから、協賛金額1,000万円ならこの4分の1の厚さじゃないかね。」せめて、それ位の企画書作ってこいよと言う意味だったんです。色んなものを書いた事はあったんですが、僕は企画書は書いた事がなかったんです。ましてや、役所の職員は誰も知らないんです。誰も知らない企画書をどうしようか。しかたないんで、その日清食品にある企画書を、見よう見まねで書き写したんです。当時持っていたシステム手帳に、空いている部分がない位に大事な所を全部書き写してきたんです。その日の夜、上野駅にみんな集まったんです。「みんなどうだった?」全部だめでした。交通費と饅頭だけ取られて、一銭も集まらないんです。今思うと、こんな紙切れ1枚持って、1,000万円くれとよく言ったものだ。まるで詐欺みたいなものです。とにかく、企画書がなければお金をくれないという事が分かりました。それで、それを徹底的に分析し、カラーコピーを借りてきて、とにかく、見よう見まねでUFOと宇宙の国際会議の企画書を作ったんです。どこかの大手が作ったように企画書を作って、金沢にある大手の電気メーカーの北陸支社という所に持っていったんです。そこの広報部の関係者と広告代理店の人が一緒にいて、対応してくれたんです。そして、企画書を見て「これはどこの広告代理店がお作りになったんですか?」と言ってくれたんです。まさか、学校の先生や商工会の青年部や青年団の連中が、夜な夜な集まって作ったなんて言えませんので、「後ほど申し上げます」といって切り抜けたんです。反応は、プロが作ったものと錯覚されたんです。そこまで厳しく作ってみたんです。それで、それを片手に東京、京都、大阪、北陸三県、ありとあらゆる所を、土・日曜日返上や日中年休を使って企業をまわりました。僕とコンビを組んだのは、中学校の教員なんです。公務員が、年休を使って休んで企業まわりをする。行為としては決して好ましい行為ではないんです。でも、非常に特殊な経験をさせてもらったんです。実行委員会を作って、同じプロジェクトを目指してやってみようという連中を職種関係なく集めてみました。何チームも作って、色んな所へ企画書を持ってお金集めに行ったんです。3カ月あまりで4,000万円集めたんです。500万円一般財源でありますから、あと1,500万円です。 役所の中というか、どこでも同じでしょうが、上にあつく下に冷たい人っていますよね。そういうどうしようもない人が、たまに役に立つんですね。助成金・補助金を捜したんですが、国の通産省が持っていたんです。その助成金が1,500万円ならうまく持ってこれそうだという事を掴んだんです。それをうまくだましてこないといけない。その為には難関が3つあったんです。まず、富山の通産省に行ってうまくだましたんです。その次に中部通産ですね。そして通産省本省です。三点突破です。そういう時には、上にあつく下に冷たい人間が一番いいんです。そういう人を「あんたしかこれはできない。」といって、通産省に行ってもらったんです。みごとに三点突破してきて1,500万円かっさらってきたんです。そうして合計6,000万円集まっちゃったんです。お金は集まった、あとは実行するだけだ。 ところが、そういう時になると、役所という所は議会があるんですよ。3月議会で何をいわれたか。「聞くところによると、役所の職員だとか教員だとか集まって、色んな所へ行って金集めをしているそうじゃないか。好ましくない。いったいどういうつもりなんだ。企業まわりして金集めしてまで、何千万円も投入してやるようなイベントを計画しているのか?そんな事をやる位なら除雪費や道路を直す費用にまわしたらどうだ。」というような批判が、たくさん議員さんから出てきたんです。これはよわったぞ。次の議会ではひっくり返えさないといけないと思ったんです。 それでどうしたか。すぐ電話したんです。どこへ電話をしたかというと、総理官邸へ電話したんです。総理官邸っていっても別に知っている人はいません。でも、とっさに思いついたのは、総理官邸なんです。「こちら石川県ですけど…」と言ったんです。そうしたら県庁と間違ったんですよ。石川県にある羽咋市だと言うのを「こちら石川県ですけど…」とためらうように言ったら、県庁と間違って取り次いでくれたんです。「どちら様ですか。」と聞かれると「石川県にある羽咋市の企画課の嘱託職員をしている高野という者です。」だんだん下がってくるんですね。でも、石川県と言ったところで秘書室に繋がってしまって「どちらにつなぎましょう。」と聞かれるものですから、「じゃあ主席秘書官お願いできますか?」主席秘書官というと、首相の真下にいる秘書長なんです。これが、いたんですよ。当時の総理大臣は海部俊樹さん。その主席秘書官。「石川県の羽咋市ですけど…」と話をすると、「なつかしいねぇ〜」と言うです。「実はお願いがありまして。」と言うと「あぁ。」と言って話が合うんですね。「失礼ですけど秘書官は羽咋に来た事があるのですか?」「何いっているんだ、そこは僕の故郷だ。」後で聞いたんですが、秘書官は羽咋で生まれてすぐに北海道に行ったんです。羽咋にいたのは1週間たらず。でも、いたことに変わりは無いから僕の故郷だと言うんです。正に天の助けだと思いました。「実はこういうお願いがあるんですが…」。主席秘書官に、こんな事をお願いしました。総理から「実は私もそのシンポジウムに出てみたいが、どうしても行けない。非常に楽しみにしているんだ。国際会議が行われるのを聞いて驚いているし、行きたいのだけれども行けない。」というメッセージをくれないかと頼んだんです。「そんな事わけない。今、総理はインドネシアへ行っているから帰ってこられたらすぐにお話をしよう。」と二つ返事でうけてくれたんです。そうしたら、1ケ月位たった5月中旬に、総理官邸からファックスが流れてきたんです。《宇宙とUFO国際シンポジウム開催によせて 海部俊樹》と書いてあるんですね。それを読むと、《会議が開かれる事を非常に期待している。ふるさと創星の”せい”の字を星にかえた羽咋市民の知恵はほんとうにすばらしい。》と書いてあったんです。よくぞここまで書いてくれたなぁと思いました。それをどうしたかと言うと、職場の中には、なんやかんや、うわさをウジャウジャしゃべるおしゃべりなおばさんがいるんですよ。その人をつかまえて、「ちょっと、ちょっと、これ、さっき総理官邸からきた海部さんの手紙。読んでもいいけど人には絶対言わんといて。まだ出したらダメなんだから…」1週間するとみんな知っているんです。みんな知っているという事は、議員さんの耳にも入っていると言う事です。これは、『印ろう作戦』と名付けられるんです。「これが目に入らぬか」という事です。印ろうがあるんだぞという事を一切マスコミには発表しないで、おしゃべりなおばちゃんをつかまえて、見てもらっただけなんです。まぁ、その手紙のコピーを、当時のスタッフルームにこれ見よがしにベタっと張ってあった事も事実ですが…。1週間をしないうちにみんな知っていました。そして、いよいよ6月の議会です。あれまで「潰せとかこんな訳の分からないものを失敗したらどうするんだ。」と言って反対していた議員が、「この国際会議というのは、青少年にとっては大変夢のある事業だ。だから失敗は許されない。」と変わってしまったんです。総理が期待しているというものを、反対する理由はどこにもないんです。しかも、通産省から1,500万円も補助金がでちゃった訳ですから、「よせ、やめろ」と言う訳にいかないんです。また、その手紙をですね、石川県にもファックスを流したんです。そうしたら、県から300万円の補助金がくるんです。そりゃぁ不思議なもんです。総理も期待していると言っていることは、県も動かなきゃと錯覚してしまうんですね。印ろうは結構きくもんだなぁと思いながら名付けた『印ろう作戦』でした。 その作戦のおかげで6月議会をクリアでき、いよいよ準備にとりかかってきたんです。日はどんどんせまってきます。そこで、何をしたかというと、プロというプロを徹底的に省いたんです。まず、NASAの宇宙飛行士を呼ぶ。どうしたか。直接NASAへ連絡したんです。ソ連の科学者を呼ぶ。どうしたか、いきなりソ連大使館に電話したんです。「おたくの国からこういう科学者を呼びたいんだけれど、どうしたらよいか。」と書記官に電話したんです。「宇宙飛行士を招くにはどうしたらよいですか。」とアメリカ大使館へ電話したり、直接NASAへファックスしました。とにかく、プロというプロを徹底的に省いたんです。なぜ、プロを省いたかというと、苦労はするんだけれど、ノウハウが僕らに残るんです。企業や広告代理店にお願いすると、またそこの会社を通じないとイベントが開けないんです。ソ連にファックスを流すにはどうしたらよいのか、それを役所の職員は知らなきゃいけないんです。いろいろ調べて直接やってみるんです。どうしたらNASAに手紙が書けるのか、直接やってみるんです。経験というのは、企業や代理店に頼まなくても自分でやればできる話なんです。最初から可能性を無視している人は、「企業等に頼んだほうが安心ではないのか。」と言いますが、あえてやらなかったんです。当然失敗もありました。しかし、どうすれば、科学者を呼べるのか。どうすれば、NASAから物を借りる事ができるのか。どうやれば国際会議が開けるのか。どういう手順でやればよいのか。同時通訳はどうやればよいのか。ノウハウが残ったんです。ふたを空けてみたところ、色んな報道も入ったおかげで、約1週間の会期中に約45,200人の人が来てくれたんです。4万人の人が来たと言うことは一日で少なくとも8千人の人が動いたという事です。まぁ、町はパニックになるでしょう。実際8千人来ると、例えば、夜お店に入ってもカウンターに座れないんです。ぜんぜん知らない人が座っているんです。どの店にいっても誰かが座っているんです。おかげで大成功をおさめたんです。なにより、印象に残ったのはなにかと言うと、とにかくみんなが苦労して一つのものを作り上げてきたんですね。一番最後の日、実行委員会の反省会の冒頭に、実行委員長の市長が挨拶に上がったんです。市長が壇上にのぼってマイクを握ってるんですが、でも、何も言葉が出てこないんです。涙を出して泣いているだけなんです。それを見た課長が泣いたんです。課長の泣いている姿を見て係長が泣いたんです。その姿を見て他の職員、市民ボランティア、みんな泣いちゃったんですよ。手作りでやってきた苦労、非難を浴びながらギリギリになって、金集めをして、知恵を働かして足を棒にして、色んな物を作り上げてきたんです。苦労した分だけ、うれし涙が出てきちゃったんです。いままで、色んなイベントがありましたけれど、行政の長が涙を流して喜ぶイベントあったでしょうか。ボランティアの高校生が「僕達のまちでも、ガンバればこんなすごい事ができたんだ。」と言って泣いているんです。ド素人の連中が、手作りで作り上げた喜びと、自信が跳ね返ってきたんです。
その成功を受けて次の年に、UFOの形をした核となる施設、UFO館の建設の事業を自治省にお願いしようというはこびになったんです。企画書は国際会議の時につちかったノウハウがあるので、企画書づくりは得意です。企業からお金を貰えるんだから、自治省にOK貰うなんてヘでもないと言う考え方がありました。《宇宙の出島 能登羽咋プロジェクト》なんか聞いても訳分からないプロジェクトですね。能登半島は海につき出ているけれども、それが宇宙につき出しているというイメージなんですね。もし、UFOが存在するとするならば、まさに現代の黒船ではないだろうか。異文化に象徴される黒船ですね。まさに地球が鎖国状態で、黒船がやって来ているにもかかわらず、鎖国をしているじゃないか。その出島に我々はなろうじゃないか。そのための施設なんだという考え方なんです。だから、プロジェクトの名前を《宇宙の出島 能登羽咋プロジェクト》と名付けたんです。それが、自治省の人たちに面白いと評価されたんです。これも、最初にやったのが、県には大変失礼なんですが、県を頭ごなしに飛ばしちゃったんです。県を通じてやらなきゃいけないのに、いきなり県をとばして国に接触しちゃったんです。県は怒りました。まず、いい形を掴んでおいて、次に県に話を持っていったんです。そうして平成3年10月にリーディングプロジェクトの許認可を得ました。この総工費52億6千万円です。この建設になると、色んなしがらみがあってどうしょうもない部分があったのですが、ただし、2階の宇宙科学展示室、宇宙開発とUFO、SETI(地球外知的生命体探査)をテーマとした部分に関しては、頼むから一切触ってくれるなと話をつけたんです。そこは設計をしなくてもいいし、何もしなくてもよい。何をもってくるか、何を展示するかについては、職員にまかしてくれと頼んだのです。これは、なかなか言う事を聞いてくれませんでした。東京のプロの業者の方がうまいだろうとか、色々あるんです。でも、2階と3階部分については絶対業者には触ってもらいたくないと思ったんです。何をしたかったと言うと、全部本物で固めたかったんです。色んな博物館がありますが、例えば、平成8年7月にこの施設がオープンしたんですが、外に立っているロケット、これは、米国のマーキュリー・レッドストーン・ロケットって言うんですけど、これ本物なんです。鋼鉄で出来た偽物でないんです。実際飛んだものです。これは、マグネシウム合金なんです。サビてこないんです。野ざらし状態なんですが、サビてこないんです。東京の上野にあるロケットを見たことある人もいると思いますが、あれはサビています。なぜか。鋼鉄で出来た偽物なんです。本物は、時代がたてばたつほど価値が出てくるんです。偽物は、時間がたてばたつほどお金がかかりますし価値が落ちて来るんです。本物嗜好で行こうよという事を狙ったんです。施設の内に展示してあるものも、業者という業者をみんな省いたんです。自分達でアメリカまでノコノコ行って、「ロケット売って下さい」とNASAに掛け合ったんです。ロシアから持ってきたもの。これも、ロシアの宇宙局と掛け合って「ボストーク下さい。」と行って譲ってもらったんです。実際行ってみると違うんですね。実際、業者を通すと、マーキュリー・レッドストーン・ロケットいくらすると思いますか?偽物の鋼鉄でできた物が、工事費こみで1億4,000万円です。この本物、ここだけの話ですけど、1,000万円です。14分の1なんです。本物が1,000万円で買えて、なんで偽物が1億4,000万円もするのか。日本の物価がわからないです。だから、本物の方が安いんです。中間業者が入ってくると何倍、何十倍も違ってくる事が分かってたんです。このような博物館を造ると、そこに入ってくる展示メーカーは2社しかいないんです。そこが造ったものは、博物館行けば分かっちゃうんです。ほとんど同じなんです。どこへ行っても、どこかで見た、どこかで見た。2社しかいないんですから、同じつくりになっちゃうんです。博物学の原点に帰ろうという事で、アメリカにすぐ飛んで、スミソニアン博物館の博物学の責任者に相談にのってもらったんです。日本ではなかなかのってくれないんです。そして、NASAの関係者や色んな所を頼りながら、あっち行きこっち行き、集めて持ってきました。NASAから100年間ただで借りてきたものもあります。3階のプラネタリウムに入っているデジスターという機械、世界で4番目に入れた機械なんです。当然日本で始めてです。アメリカのユタ州にある本社に直接連絡しました。代理店を通すと約3倍になります。こういう様なことをしながら、何を目指してきたのか、何を作ろうとしてきたのか、こういう建物の構想はいつからあったのか。実は、やり始めた時から頭の中にあったんです。実は、全部逆から来たんです。これがあるから宣伝するんだ。宣伝するのも、地元から北海道に広がって世界に広がっていくんです。それを逆にやってきたんです。頭の中に描いたイメージがそのとおり出来上がっているんです。ここまで来るのに約10年かかりました。ここまでやってこれたのはなぜか。やはり114か所徹底的に調べて、地域の基本は家庭だという事。一軒の家が集まって地域社会を作っているんです。そして、町を作り、市を作り、国を作っているんです。ですから家庭が揺らいじゃうと、市町村が揺らいじゃうんです。しっかりと立った家庭が集まると、気持ちがいい町が絶対できるはずなんです。例えは、気持ちがいい家族が十軒ある町があったとしたら、絶対そこへ住みたいんです。きもちが悪い人達がいっぱい住んでいる町に誰が住みたいと思うでしょうか。いくら施設が整っていても、人が悪けりゃ誰が住みたいでしょうか。総ては人間の問題なんです。人間が気持ちがいいと感じる事なんです。だから、町づくりにおいてどこを変えなきゃいけないのか。ここしかないんです。物の考え方なんです。物の考え方の気持ちのいい人がたくさんいる町は、気持ちがいいはずなんです。そういう町を実は僕達は目指している訳なんです。町づくりに対する興味というのは尽きる事はなくて、やればやっただけ自分に跳ね返ってきます。 実は色んな事をやっているんです。年に何回も、国連に出かけて行っているんです。「あんた、国連の職員か?」と言われると職員でもなんでもないんですが…。でも、国連にずいぶん友達が出来てきたんです。市の中にライオンズクラブとかロータリークラブとか色んな人がいます。県議会議員も含めてそういう人達15人を集めて、国連とNASAへ連れていくツアーを組んだんです。プライベートツアーなんですが、それを引率したんです。そして、認識を変えてもらおうという事を実際やったんです。実際アメリカへ行って、UFOや宇宙やSETI(地球外知的生命体探査)について自分達の目で確かめてもらいました。 この地球以外に、生命体のいる可能性というのがどれ程あるのか。途方もない数あるんですね。四千億といわれている銀河系の星々の中で、水をたたえ空気があって、生命が住むのに適した星がどれだけあるのか。少なく見積もっても数千、楽観的に見積もると何百万という数がはじき出されるんです。逆に考えると、地球ほどかけがえのない星はないし、稀なんですね。なにげなしに暮らしていけるのは、大気のお陰なんです。宇宙飛行士の経験や、宇宙服の仕掛けを見ると、とんでもない仕掛けがしてあるんです。例えばヘルメットの前にレクサンヘルメットという金色のヘルメットがあります。大気がないと有害な紫外線が目に入ってきちゃうんです。大気のないところで太陽光線を10分も見ていると、失明するんです。そんな事誰も気付きません。ある程度有害なものは、大気やオゾン層等で防がれているんです。本当に地球というのは、稀な場所なんです。その稀な場所だという事は、宇宙から地球を見る事によって養う事ができるんです。思いはせる事ができるんです。 色んな事をやってきといいましたが、コスモアイル羽咋の売店にベルを売っているんです。ベルというと何かというとUFOの形をした鈴なんですよ。素焼きの鈴なんです。『UFOベルリンリン』と言うんです。なぜそう言のかというと、これベルリンの壁で作ったんです。ベルリンの壁が倒れる1週間前に、たまたまフランクフルトにいたんです。いよいよ壁が倒れるぞという時に、「この壁を回収できるだけ回収してくれないか。」と地元のジャーナリストに頼んだのです。「おまえ、何をするつもりだ。」といわれたのですが、「とにかく送ってくれ。」と頼み四・五トン送ってもらったのです。それをこなごなに崩して粘土と混ぜ合わせて、UFOうどんの器にしようと思ったんです。ベルリンの壁でできたUFOうどんの器。どう考えてもここにしかないですから…。でも、みんなで考えた時、どうみても気持ち悪いんではないかという事になったんです。血と汗と涙の歴史が入った器でうどん食べたってうまくないだろう。よく考えてみると、ピンとこないですね。じゃあ、何にしよう。「ベルリンの壁だからなぁ…。ベルリン、ベルリンリン」と誰かが言ったんです。リンリンって、こりゃ鈴作ろうや。という事になったんです。早速、工業高校の美術の先生ですが、UFOの形をした鈴の試作を作ったんです。いっぱい色んな型を作ってくれたんです。1号機から8号機までくらい。何個が作って、またフランクフルトに送り返したんです。「あなたが送ってくれたベルリンの壁は、結局ベルリンリンという鈴になりました。本当にありがとう。このコンセプトは、UFOから見れば、西ドイツも東ドイツも関係ないよ。宇宙から見ると、みんな同じ地球人に見えるよ。この鈴は、平和の土鈴なんだ」と言う事を書いて送り返したんです。そうしたら、ドイツで大騒ぎになったんです。ドイツのテレビ局が取材にきたんです。30分の番組をドイツで作ったんです。羽咋の事をひととおり触れてくれて、「こいつらが、ベルリンの壁を平和の鈴に変えたんだ」といって紹介してくれたんです。その放送があってから、匿名の人達やドイツ人や在日ドイツ人等、色んな人からベルリンの壁が送られてくたんです。その壁を、今でも細かく砕いて粘土に混ぜて、UFOベルリンリンってのを作っています。でも、「地の神はすたれる」で地元には売れないんです。こういう物を見て「おもしろいじゃない、これ」と言ってくれるのは、だいだい外から来た人なんです。こういう風に、鈴をつくったり、国連へ行ってUFOに関する会議に出させてもらったり、NASAへ行って色んなスタッフと話をしたり、ぼくらがいままで思ってもみなかった事を色々させてもらったんです。そのようなダイナミックな所があります。 |
| このように、僕達は進んできたわけですが、町づくりというものは、机の上にいてやるものじゃなくて、現在進行形という実行している中で、提案していく事がまちづくりの本来の姿であり、人に受入れられるイロハじゃないかなと今でも強く感じています |
|
|
終 了 (第2回仕掛人Club講演録) |
|
羽咋のUFO神話 羽咋の邑知平野に伝わる不思議な伝説「そうはちぼん伝説」(江戸時代)。 「西山の中腹を東より徐々にうつりゆきし怪火をそうはちぼん、或わにょうはちという」と書かれてある。 また、「空からなべが降りてきて子供がさらわれる」という「なべふりの伝承」(時代不明)。 さらに「気多古縁起」(平安時代といわれる)には、空飛ぶ不思議な珠(たま)について書かれている。現代で解釈するなら、まさしくUFOの伝説そのものである。 コスモアイル羽咋(宇宙科学博物館) 宇宙開発・SETI(地球外知的生命体探査)・UFOをテーマとした宇宙科学博物館。 「日本のスミソニアン」と評されるように、人類初の宇宙開発から他の惑星探査活動まで、実物や博物館グレードの宇宙機材を中心として展示されている。 また、現在地球上や宇宙空間で目撃されているUFO現像についての分析と解説、さらにSETI(地球外知的生命体の探査活動)についての意義とその成果について科学者が直接解説している、UFOおよびSETIサミットブースなどもある。 |