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MATSURI


 日本人は、祭好きである。
子どものころ、「今日は、○○で祭がある。□月△日は、○○が祭だ…。」って、よく祭めぐりをしたっけ・・・。
 「祭」といえば、浴衣姿に、神輿に屋台。仲間で夜遅くまで騒いでたよね。でも、「祭」って何と言われても、よくわからない。

「カミは発見されたら、即マツリ鎮めなければならない……」

『マツリとは、マツを語基として、マツル・マツラフという動詞の名詞形である。…何ごとか現れるのを待ち、それに仕える意味である。…すなわち、カミを顕現せしめて上位に奉仕するのがマツリである。』(薗田稔「祭り」『岩波講座東洋思想』より)
簡単にいえば、普段は見る(感じる)ことのできない神の顕現を待って、それに奉仕することがマツリなのです。
神に仕えることがすべて「祭」であったので、それゆえ、日本神話の天の岩戸の話が祭りの起源であるといわれています。
 古代の日本人は、人間の力の及ばない現象等に対して大きな力、意思、いわゆる「カミ」の存在を感じとっていたのでしょう。
「カミ」は、神社社殿などに常住しているのではなく、普段は、山・海・森などに溶け込んでいて、必要に応じて、人や動物、神器に憑依、または、動物などの姿として現れて、その存在を示すのだと信じていました。ところが、中世以降は、神社に立派な社殿が建てられるようになると、あたかもそこに「カミ」が常住しているかのように思われるようになりました。
 「祭」の基本形態は、迎え−祭−送るです。神を山・海などからお迎えして、本祭場で祀り、再び元の場所へお送りするのが基本なのです。遠隔地から主祭場移動する途中の仮のお休み所として設けた「社」が立派になるにつれて、いつしか神の常在する「本殿」とされてきました。また、神の送り迎えの移動の際の乗り物が「神輿」です。
 人々は、古くから伝わる祭礼や、村々の収穫を感謝する祭りなどに参加して神の霊威をうけ、そして、お互いに共同の意識を確認しあうという社会生活の規範として祭りは機能してきたといえます。
 中世では、祭りは神事としての神聖さだけではなく、祝祭としての楽しさが求められるようになり、特に民衆の主体となった祭りにこの傾向が強くなりました。
 「祭」を考えると、おおきく2種類に分けられます。一つは,年中行事。いわゆる節句や農事開始に伴う春祭や収穫感謝の秋祭など、もう一つは通過儀礼で、命名、成人、結婚式、葬式などです。
さらに、現在の「祭」は、迎え−祭−送るという基本形態を備えているもの(盆行事など)、送りが独立して遊戯的行事となったもの(節分など)、送り的行事を残しながら追放行事を行うもの(小正月のトンドド焼と鳥追いなど)、肝心の祭り部分が失われ、送迎行事が華々しく行われるもの(祇園八坂神社の山鉾、ねぶた祭など)の4タイプに分かれいるといいます。
詳しくみていくと、「祭」には、国家祭祀や、氏神の祭、ムラの祭、イエや祖霊神、自然神と数え切れない精霊、神々たちをマツルもの、数多くありますが、本質的には同じものであることがわかってくるでしょう。
 1年間の季節感は四季の祭に表れていて、元旦の歳旦祭から大晦日の年越の儀礼まで、年間に数多くの儀礼習俗が行われいます。また、ムラの祭礼、収穫への感謝する祭りなど、数多くの祭りが行われており、「祭」はまさに私たちの生活の一部となっているのです。
 日本神話の世界では、私たちの祖先をずっとたどっていくと、神々にたどりつきます。祖先が神に直接つながっているという神話が現在残されている民族は、世界の中で日本だけであると聞いたことがあります。(多くの宗教は、人間は神に作られたとされています。)
もしかしたら、神楽の音、神輿や祭りばやしが聞こえると、血が騒ぐのは、遠く「天の岩戸」の神話の時代の記憶なのかも(?)知れませんね。




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